努力のお話
どうも、たわしです。
本日は努力のお話です。
皆さん努力は好きですか?
私は嫌いです。そもそも努力という概念自体が嫌いです。
努力というと、「辛いことや苦しいことを乗り越えて物事に励む」というイメージがありますよね。
このイメージが嫌いなわけです。
例えば、「野球が上手くなるように努力する!」
と言ってるたかし君(38歳)いるとします。
大変微笑ましいご様子ですね。
しかしたかし君が、毎日意味もなくバットに重りを付けてブンブン振っていたら心配になりませんか?
「お母さん!僕努力してるよ!(ブンブン)」
たかし君が公園でバットを振り回す情景が目に浮かびます。
大変微笑ましいながらも、お母さんは心配になります。
なぜ心配になるのかというと、
「野球が上手くなる」という目的と、「バットを振りまくる」という行動が上手く噛み合っていないからですね。
本当に野球が上手くなりたいのであれば、何をするべきかをもっと掘り下げることが必要です。
このように目的達成のために、「努力」という行為をしようとすると、誤った行動に繋がりかねません。
そして、目的達成のために必要なのは努力ではなく、戦略的な行動なのです。
人を盲目にする努力の怖さが少しでも伝わりましたでしょうか?
たかし君!努力すると結果は出ませんよ!
以上、努力のお話でした。